固定したガイネンを緩める

聞くだけ聞いておいて
自分は教えないなんて
それはないでしょ!
って話なんだけど。




10代は、自分を見失って、
自分の大切な何かが壊れてしまった。
それでも生きなくちゃいけなくて、
でも世の中に出ていく自信が
もてなかった頃。




無償ボランティアだったけど、
少しずつ、いろんなところに
顔を出すようになった。
けれど、児童福祉関係の職員
(私くらいの年の子どもがいるbba)
と話をするのが、本当に苦痛だった。





当時の私は、
まず、誰かの役に立てることが
十分に「しごと」で「はたらき」
だった。





いつかは、大人みたいに
おもしろくもない仕事に行って
働かなきゃならず、
そこで我慢して堪え忍んだ見返りに
お給料をもらうんだろう…
と思っていたから、
正直、社会に出ていくには
不安が多すぎたけれど。





いつかに備えて、
自分が存在すること、
生きていること、
誰かの役に立てることへの
感謝の気持ちを心に育むことが
最優先だった、というのに。



でも、私の感覚は
私だけのものであるように、
bba達の価値観は、
働く=お金を稼ぐ、偉い、まっとう
何もしてない人=ダメ人間、クズ
みたいなものだった。






すいません、私、勘が鋭いので。
感受性の申し子なんで、
なんとなく、肌で感じる。






bba達の質問は
テンプレがあるかのように
いつも決まっていた。

まず、学校はどこに行ってるの?
(こんなところに来て学校は?
と私の脳内で変換してた)
と聞かれ、
行ってない、と答える。

そうすると、
何か仕事しているの?
(学校にも行けない子が
お金を稼ぐ仕事をやれるのか?
と脳内変換)
と聞かれ、
何もしていない 、と答えると、
始まる。




bba達による倫理道徳の集団リンチ。
自分の価値観や自分が通った道に
どれだけ自信ないのか知らんけど、
私の状態をものすごい勢いで、
否定。





それじゃダメだよ。




働かないと。





いつまでも親のスネかじってちゃ…
(これは個人の問題だし、
各家庭で流儀があるから、
その人の事情もわからない状態では
絶対に言っちゃいけないと思う)





あのー。





働けないから、こうして
社会復帰に向けて、
リハビリしてるんですけど
って感じだった。




「自己肯定感」という言葉を
あのとき知っていたら
きっと、
「自己肯定感が持てなくて、
手を貸してくれるんですか?」
って反論しただろうな。





もっと聞くことあるじゃん。





趣味とか、好きな音楽とか、
いま興味のあることとか、
働いたらやってみたいこととか。




私のステータス聞いてどうするの?
自分の息子に釣り合うかどうか審査?
自分の息子の年収が勝ってて安心?



そんなふうに思ってた。





何を言われても、
「そうですよねー」とは言うけど、
素直に「はい、そうします」
とは思えなかった。




なにせ、私の人生なわけで、
私の面倒をみるのは
私しかいないので。




といっても、うちなんか、
とてもよいカモだろうな。




家庭も学校も、人物像も
全部ワケあり物件だからね。

自分の「ものさし」が
いかに素晴らしいか
見せびらかして並べて比べるには
最高の相手だよ。私は^_^

(でも私にとってはそれが標準だから
実はワケなし物件なのかもしれない)




といっても、
人間に優劣なんかないし
人生に勝ちも負けもない。
勝ったと思うだけ虚しい。
負けた気がしても、そんなの幻想。




色、形、材質、単位。
寸尺やマイル、ヤード、フィート、
デシリットル、個数、分速、時速、
デシベル、キログラム、ポンド、
ボルト、ワット、円、ドル、ユーロ、
ドレミ、テンポ、カット、カラー、
カラット、クラリティー。
測り方だってcmだけじゃない。
みんな違ってあたりまえ。
自分と違う、ちょっと足りない、
だから一人じゃないってこと。





これは私の得意の逆色眼鏡による
被害妄想からくる偏見だけど、
私がいないところでは、
フルネームで呼び捨てにして、
プライバシーに踏み込むとこまで
あれじゃダメとかグダグダと
disってたんじゃないかなー、
あの人たちは。

(と思う根拠はあって、
児童福祉施設に来ていた子が帰ると
フルネームで呼び捨てにして
あーだこーだ言ってたから!
アレも情報共有?)



というか、そもそも
「そんな質問には答えない」って
黙秘権を行使してダンマリ貫いても
よかったんだ。





これは私のお勉強不足だね!




当時は
髪の毛なんか茶色く染めてたし、
地味だったダボダボの服をやめて
やっと自分の好きなお洋服を着だした頃で、
チャラチャラ遊んでるだけの
バカ女に見えたんだろうね。





メンヘラをナメるなよ⁈(笑)





自分の選んだことが
間違ってなかったって
答え合わせしたい感
満載でした。




いつだったか、
とある人の事情を聞くことがあって
深刻な状態だって知った。
そのときにbba達が

私にだけ

「これは面白がって
話すようなことじゃない。
誰にも言わないで!」って
釘をさした。




ハァ?






悪いけど、私は口軽くないよ。
アンタ達のほうがよっぽど
口が軽いんじゃないの。
と思った。




私の言い分を聞く気もないなら
何も話すことはないって
手前の事情も
絶対に口外しなかった私だよ。

ましてや、友だちでもある人が
深刻な事情を抱えてたら、
サポートしたいし、
ただ単純に、味方したいって
思うのはおかしいことかな?




自分みたいになるまえに
その人を救いたかった。
その人の家族にも
私のような想いをさせたくない
という気持ちだけで立ち入りすぎて
その人には嫌われたけどね。




ごめんね。





私のそういうとこが、
軽々しいバカ女に見えたのかもね。





でも、あれは本当に失礼だし、
心外だった。





私が話さなかったからアレだけど
どんな思いで
私が子ども時代を過ごしたか
知っていれば
あんな言葉は出ないはず。






いまならなんとなくわかるけど、
bba同士や仲間の内々では
誰にも言わない
があたりまえだっただけで、
私は新参者だったからね。
言うしか。
結束には敵わないということだね。




伝えたい人には伝えよう。
本当に。
ケンカになっても言うしか。



常々思うことだけど、
他者に興味をもつ動機が、
自分の価値観を押し付けるためや
自分の劣等感をマシにするためって
なんか…。



人の生い立ちや現状に踏み込むなら
聞いた以上、
聞いた責任があると思う。
相手がどんなに辛くたって
何にもすることはできない。
だから、軽々しく聞くなよ。
おもしろがって興味本位でなんて
論外。
本人が気にしてないから大丈夫とか
そんな問題じゃないと思うけどね。






といっても、
なにせ、自分の人生なわけで
自分の面倒をみるのは
自分しかいない。
どんなふうに生きるかも
誰かに決められることじゃなく
自分次第。




だから、誰かをバカにしない、
どうこう言わないから
偉いとかじゃなくて。

当時は、
bba達が言ってたことが正しくても
タイミングが合ってなかったが故に
私には存在否定にとれて
実は結構傷ついてたぞって話。
bba達には私を見る目も
私をまっすぐに見る気も
全然なかったんだなーって。





完璧じゃなくて完全だから人間。




異文化、異世界は、
いつも目の前にある。




こうだ、ということなんて、
そんなにいっぱいないし。



こうあるべきってものに対しては
そうとは限らないじゃんって
いつも拒否反応。



これが正しいと言われても、
締め付けず、柔軟でありたい。



どれだけ思い知らされても、
自分が自分でいられずにはいられない。


愛のだいじょうぶし

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