「選ぶ」という自由と責任

私は母親とソリが合わなかった。
死人に口なしの都合の良さで、
悪口を言おうと思えば
いくらだって言えるくらい。



と言っても、死んだということは
向こうには心の中まで筒抜け。
それでクソミソに言いまくっても
何も呪われていないから、
堂々と胸を張って悪口を言える(笑)。



産んでいただいた(皮肉)には
感謝もしていますが、
どの親子もそうだと思うけど
好きとか嫌いとか、
そんなことでは計れないような
絶妙な距離感だった。




とにかく、私の母親は
いまでいうモラハラの代名詞。
なんでもかんでも、
「ああしなさい」
「こうしなきゃダメでしょ」
逆らえばブッ叩けばいい
と思ってるんだろうなーって
そんな女だった。




あーなんか殴りたくなってきた(笑)




図書館に行っても
読もうとする本にまで
ケチをつける。
「戦争の本にしなさい」
「もっと文字の多い本にしなさい」
って。


平和への強い願いからか
母は私に戦争の本をよく読ませた。




戦争は不毛だよ。
戦争したいだけの政治家が
自分たちだけ戦線に行って
やりあえよって、いつも思う。




私は政治のことについては
あまり人と話をしないので、
難しいことはわからないけど、
(一方では残酷でも、別の角度では
それが救いだったりするほど
複雑すぎる点と、宗教と同じで
どこはどうって話も広がりすぎるし、
甲乙つけてはいけないもの
と感じるからね)
決めたことをやるにあたって
自分ができないから
代わりに誰かにお願いすることが、
戦地で殺ってこいってさぁ、
お前、気は確かか?って。






いやいや、いまは
母親の悪口を言う時間だから(笑)





私にとっては、かなり比重が大きい。



結局のところ、
人生のさまざまなシーンで、
「選ぶ」こと、「決める」ことに
直面する。
そもそも、「選ぶ」と「決める」の
繰り返しが人生であるといっても
いいくらいじゃないかな。



そんな大事なしごとを、
ちいさいうちから却下され、
否定され、
邪魔されてきたってこと。





そうするとどうなるか知ってる?



なんでも人ありきで
考えたり、行動したり、
選んで決める、
自分のない人になっちゃうよ〜(´Д` )




小学生〜20代は、
本当にそんな子だったかもしれない。
ま、いいか。
いまは変わってきたし。




母は怒ると折檻のつもりか
絶対に体のどこかを叩いたり、
ぶったりするクソ女だった。
でも平手だから痣もできなくて、
誰もが「どの家だってそうだよ〜」
って言ってたけど、信じなかった。



出先や、人の目があるところでは
絶対にしなかった。
でも、帰ったらやられる。
目でわかった。
そういう目をするの。
この直感は、
どんな言葉にも表せない。



うちくらいの下寄りの中流家庭?で
こんなんだったから、
氷山の一角じゃないけど、
家で親に怒られついでに
暴力とか言葉の暴力をくらった子、
そうやって大人になってしまった人、
もっといっぱいいると思う。



他人事だと思わないでほしい。





親に怒られないために
良い子ぶってたし、
(グチャグチャになるまで
殴りたい奴ばっかりでしたよ。笑)
いじめられても我慢した。
先生なんか対応遅いから
こっちから見限ってやったし、
色眼鏡系の大人には感じよくして
家庭の事情なんか
何にもないフリしてた。
(バレてたんだろうけど、
関わりを増やしたくないし、
助けてもらうつもりもなかった)


そんなわけで、何を決めるにも、
他者の意見、評価、自分を見る目を
意識して選ぶから、
何一つ楽しめるわけがなかった。
誰の人生を生きているのか見失った。
誰の人生を生きているのかが
わからないと、自分が他人事で
本当に「もういい、死のうよ」って
思えたりしてしまう。
こわいよね。




ネタじゃなく、
自分のことをほっぽりだそうと
してしまう。

私は意気地なしのチキンなので
自分の死後に
心無いウワサをされることすらも
嫌だったから
自決する覚悟なんてできなかった。
そこは、
他人ありきで物事を決める癖が
機能してくれたおかげだから、
自分にマジ感謝✨(笑)



母は、挨拶についても
ガチャガチャうるさかった(笑)。
大人と会えば挨拶させられた。
「こんにちは」とか
「ありがとう」とか。
挨拶は自分からしなさい、
これだけは
私の人生を豊かに彩る
よい習慣になったと、いまは思う。
実際、毎日お仕事に行って、
会う人に会うたびに
挨拶するのは気持ちがいい。





無視する人もいるけど、
それでムカつくのはやめよう。
以前、叶姉妹のお姉さまのほうが
人間関係のお悩み相談で
「ではその方を椅子と思えば
いいんじゃないですか?」
みたいなアドバイスをしたんだって。
そっか、椅子でも
挨拶できない型はあるのか
って思えば何もこわくない。





私は感じよく挨拶するのが
とても上手だと自負している。
それは、計算でも腹黒でもない。
単に、
いい挨拶がいい人間関係を築けると、
遺伝子レベルで知っているから、
やれば出来るから、
そのほうが自分も相手も
気分がいいからやっているの。




実際、多くの方が
私を可愛がってくださっている。
実の母親よりもはるかに大きくて
はるかに濃い色の鮮明な愛着で!



以前は、挨拶するのは
他人からよく思われるためだった。
変なウワサされないため、
世間体のため、
色眼鏡系に差別されないためだった。




でも、やっぱり挨拶って気持ちいい。
いまは、何のため?と聞かれても、
最初に自分のため、がくる。
とりあえず、この自分になれて
よかったです。




自分の覚悟なら、どう転がっても
なんとかなるし、なんとかなれる。
そんな気がしているよ。

これからは、
自分が選ぶこと、決めるもの、
どれも、自信をもって、
ちょっとだけ責任感ももって、
決めたい。選びたい。
自分になっていきたい。



自分に聞いて、
自分の喜ぶほうを、
自分が幸せを感じられるほうへ。
自分のための人生を
生きているんだからね。





ちなみに、本は苦手です。
書くから読むのも好きだろうって
思われがちだけど、
読みたいものしか読みません。
結構、読む本は拘りますね。






本好きになる年頃に、
あんだけ自分の好みやチョイスに
水差されればね、本嫌いになるよ。
でも、全然読まないでもない。
書くほうが好きってだけ。





嫌いってほどでもないし。

愛のだいじょうぶし

いい事だけがハッピー? 頑張ったから報われる? そんなブログを書いています

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